2,012年の水田

2,012年の作業風景をまとめてみました

2012




親子で籾巻き

田植え前の稲の姿

苗の比較(右が自然農法

親子で田植え

田植え直後

カブトエビがたくさんいます

田植え直後

田植え前の稲の姿

稲の株間の景色

出穂期 中干し

水面に藻類が発生

一本植えの稲

赤米の花

最高分けつ期

稲刈り直前

登熟期

親子で稲刈り

三輪山からの清流1

種籾
  •  “1粒の籾のもっている力を最大限に発揮させてあげたい”との思いから、苗は、乾田苗代という方法で約60日間育ててから田植えをします。その方が、植えてからの生育が良く、草に負けずに共存してくれます。
     よく、「草負けして分けつしない、収量が少ない」という声を聞きますが、弱い苗を植えていれば、草があってもなくても一緒です。良い苗を植えてあげれば、草にも負けずに共存してくれます。

     自然農法を、はじめた頃は、まだ今のように苗の大切さを良く分かっていなかったので、小さい苗質の弱い苗を植えていたので、すぐに草まみれになってしまい、苗の分けつが抑えられ弱々しいものでした。どうすれば草を抑えられるか、そればかりを考えていました。主役であるはずの稲を見ず、田んぼを見ずに草しか見ていなかったのです。稲を育てているのか、草を取っているのか分からない状態になっていました。
     平成11年に台風で稲が倒れ、その年の収量は1〜3俵でした。自然農法の稲は倒れないはずが、このときは倒れてしまった。そのときに今までの考え方を変え、丈夫な苗を植えないといけない。草にも病虫害にも、台風にも負けない稲に生長してもらわないといけない。1粒の籾のもっている力を最大限に発揮させてあげることを考えるようになりました。
     現在の農業は除草剤で簡単に草を抑えることができますが、「昔の農家の人たちはどうしていたのだろう」と思うようになり、図書館で古い文献などで調べているうちに、いつしか、草を抑えることよりも昔の農家の人たちの米に対する思いや稲作へのこだわりの方に興味が湧いてきました。
     昔は現在とは時代背景も違い、米に対する考え方も変わってきましたが、農業への考え方、取り組み方の違いにショックを受けました。「今までの自分のやってきたことが、如何に甘かったのか」ということを考えさせられました。
     昔から“苗半作”といって、良い苗ができるとその年の稲作の半分は成功したという意味ですが、老農たちは、“苗7分作”とか“苗8分作”というくらいに苗作りに力を注いでいたようです。「自分も少しでも老農たちに近づきたい」との思いで、取り組んでいます。
     
     それからは草が生えていても気にならなくなり、稲も元気に生長してゆき、収量も平均で8〜9俵くらいに増えてきました。現在は、田んぼの土や環境も変わってきたので、草も減ってきて、拾い草程度で済ませています。
     田植えの1ヵ月前に田んぼ耕しますが、冬草や春草が枯れ始める頃に浅耕にしているので、草を借り倒すような感じになります。代かきも浅耕にしているので、表面は草が多く、下の方は土がゴロゴロした感じになります。
    田植え後、しばらくするとカブトエビがたくさん出てきて、水を濁らせたり、発芽したばかりの草も食べているようです。その後カブトエビがいなくなると、今度は入れ替わるようにして藻類が発生してきて、田んぼ一面を覆うようになってきます。このようにして、田んぼの中ではいろいろな微生物たちをはじめ、小動物たちが生活をしています。途中で水が無くなったり、稲刈り後は、冬草や春草が生え、春には浅いけれども土を耕され、田植え前になると、再び水が入り、代かきで浅く耕される‥‥。それでも、肥料や農薬を使わない田んぼには、毎年のようにいろいろな生き物たちが出てきて、田んぼの中で活動しています。その中で、稲も元気にたくましく育ってくれます。

     生命力の強い稲には生命力の強いお米が実ってくれます。その生命力の強いお米(籾)を春に苗代に蒔いてあげれば、良い苗に育ってくれるでしょう。そして、そんなお米を食べれば、体も元気になるでしょう。(味は品種や好みもあるでしょうが‥‥)



      8年くらい前からぜん息になり、秋から冬にかけて5回発作が出るようになり、稲刈りや脱穀の時期にもう何もできなくなります。発作が出ると、1週間は動けなくなり、横になって寝ることもできません。体の他の部分は何ともないのに呼吸が困難になるだけで、もうだめです。初めの頃は、もうとにかく息を吸うことに必死になり、それでも思うように息ができないのでパニックになりもう死ぬ思ったりしましたが、何とか1週間を乗り切ることができ、次の発作の時には呼吸法を変え、まず肺の中にある酸素を出さないと酸素を肺の中にある吸うことができないということに気づき、それからはゆっくりと落ち着いて、少ないですが呼吸ができるようになりました。
     それでも、1度咳をすると止まらなくなるので、その後は息ができなくなり、死ぬかと思ったことが何度もありました。そんな状態なので、食べるのも苦しくなり、発作がおさまる頃に楽になるので調子に乗ってたくさん食べると夜になるとまた苦しくなります。
     なぜ同じ環境の中で暮らしているのに、家族の中で自分だけがこんなことになるのか? 体に良い自然農法をしているのぜん息になるのか?
     そんなことを繰り返していくうちに、どんどん体重も落ちてゆき、22キロも痩せてしまいました。最後は顔の肉まで落ち、頬もこけ、鏡を見るとゾッとします。春や夏は元気で農作業もでき体力も落ちることなく、それでも体重は戻らず軽くなった分、動きやすくなって楽なのですが、見た目がすっかりみすぼらしくなってしまいました。知人からは「会うたびに痩せていくなぁ」と言われます。
     せっかく体によい自然農法で稲や野菜を栽培しているのに当の本人がこんな状態では説得力がないなぁと我ながら情けなくなります。
     今はなんとか我慢できているけれど、これからもっと年をとって、この苦しみに耐えられるのだろうかと不安に思っていました。 
     何とか医者や薬に頼らずに治したい、薬を飲むと副作用がきつかったり、1度飲むようになると、今度はだんだんと薬が効かなくなり、ますますきつい薬を飲まないと効かなくなると聞きます。
     いろいろと勉強していくうちに、人間も自然の一部であり、病気になるのは自然に反した食生活や生活習慣を続けていたためで、それを体が気づかせるために警告を発しているのだということがわかってきました。
      現代は飽食の時代で、現代人は食べ過ぎで、必要以上に食べ過ぎていること、そのために食べたものが排泄しきれずに腸の中に残ってしまい、それが老廃物として吸収され、血液を濁らせたり臓器の機能が鈍り、いろいろな病気をひきおこすなどさまざまなことがわかってきました。
      ということは、食生活や生活習慣を自然に添うように改善してゆけば体質も変わり、健康になれるのではと取り組んでみました。
     病気の原因は、低体温になるとかかりやすくなるそうで、それまでは36.5度でしたが、発作が起こると、36度を切り35.8しかありませんでした。これにはショックでした。なぜ体温がこんなに低くなってしまうのか? どうすれば体温をあげることができるのか? いろいろと自分なりに勉強しました。
     まずは、砂糖は体温を下げる作用があるのでのでほとんどとらなくなりました。これを続けているうちに発作が起こっても症状が、苦しみの度合いが少しずつですが軽くなってきました。それでも1週間は何もできません。  次に、腸の中に溜まっている物を出さないといけないので、排泄作用を促すために、畑で採れたショウガを使ってショウガ紅茶を飲むようになるみと、驚くほど尿が出るようになるし、体を温める作用もあります。塩も取るようにしました。午前中は排泄の時間帯なので、それまでの昼食を抜いた1日2食だったのを、朝食を抜いて1日2食にかえました。すると、今まで以上に便が出るようになり、その後は発作が出なくなりました。おなかの中がスッキリした感じで体調も良いようです。改めて、いかに自然に添った生活をすることが大切なのかということを実感させられました。 
     今まで自然農法をやってきましたが「自然農法も食も健康も1つに繋がっているのだなぁ」と体を通してわかってきました。 
      この8年間は家族にも心配や迷惑をかけてしまいました。今は、子供たちも小学生と中学生になり、農繁期には田んぼや畑に行き、一緒に作業を手伝ってくれるようになりました。
     これからも、もっと農業と食そして健康ということを考え、自然に添った生き方をめざしてゆきたいと思っています。